十二支と干支は違う
一回りも年が違う、などと使う事がありますが、通常この場合の一回りは12年を一周として上か下を指します。
小学生でも4~12月生まれの6年生が年男年女になる事から、十二支については若い内から馴染みがあるでしょう。
十二支は覚えていなくても、自分がなに年か分からない人は多くは無いと思います。
因みに前述の様な、普段干支と呼ばれているものは正しくは十二支で、干支とは十二支と十干を総称したものです。
十二支は12年で一周しますが、干支はそれに十干を加えた60年で一周します。
ところで10×12であれば、数字上は120年が一周になるはずでは?
それが60年になるからくりは、十干と十二支はそれぞれが一年毎に次に移るというルールがあるため。
則って暦を進めると60年で一周、つまり半分は永遠に組み合わない巡り合わせになっています。
そこから派生し、年男年女の中で還暦と称され特別視される60才は、これが元となっています。
赤いちゃんちゃんこを着てもう一度赤ちゃんに、という風習を聞いた事もあるかと思いますが、これは干支が一周して新しくなるように、人もまた生まれ変わったとして祝おうとする行事が広く定着していったものです。
今でこそ60才前後で亡くなられる方に、まだ若いのに、との言葉が出る様になりましたが、昔の60才は、なかなかの長寿でしたので、そういったお祝いも兼ねて、行事として定着しやすかったのでしょう。
12年ごとに訪れる十二支と違って、60年周期の干支は一般的にあまり馴染みが無く、組み合わせの名称を聞いてもピンとこないものが大半でしょう。
しかし、甲子園、戊辰戦争は知っている方が多いのではないでしょうか。
これらは干支に起因して名づけられています。
そんな干支ですが、来年のひのえうま(丙午)はちょっとした有名どころです。
今年を基準にすると59年前、前回の丙午とその前後の人口統計を調べてみて下さい。
一か所だけガクンと出生数が落ちている年があります。
これは江戸時代の迷信が起因となっているのですが、とは言え昭和40年代のさほど遠くない過去に、迷信文化が全日本的深く残っていた証として、非常に興味深い出来事だと思います。
他にも歴史上の出来事や、地名にも使われている干支がありますので、ご興味を持たれましたら、背景を調べてみるのも面白いのではないでしょうか。