一般常識フィルター
近所に放置され続けているであろう車を見かけます。
生活の中で車を必要としている身からすると、その理由が分かりませんでした。
私有地内であれば、空き家の放置の様な理由でまだ分からなくもないですが(敷地所有者の物では無いかもしれませんが)、月極駐車場や、果てはコンビニの駐車場敷地にも放置されており、良識を疑うと言う事を通り越し、その理由に興味すら覚えてしまうような状況も見かけました。
窃盗車両が海外へ売られる犯罪があるニュースや特集の影響で、駐車車両が無くなるのであれば、何かに巻き込まれた等の理由は分かるのですが、車検切れだとしても売れば幾ばくかのお金にはなりますし、なぜ放置なのか。
インターネットで似たような事例について検索してみた所、山中の道路に放置して除雪および通行の阻害をした車両がある、との記事を見つけました。
運転手は一体どうやって移動したのか?との疑問が浮かびましたが、投稿されているコメントに連れ立った車に乗っていったのでは、との書き込みがあり、放置する事が出来た理由になるほど、と思ったのと同じくして、書籍ケーキの切れない非行少年たち、に思い当たりました。
障害を持つ生徒を受けいれる特別支援学校がありますが、基本的に重度の場合に限られており、軽度の場合は一般的な学校に通うそうです。
恐らくは意思疎通が基準にはなっていると思われますが、勉強が得意な子もいれば不得意な子もいる、運動についてもそう、歌が上手かったりリズムがどうしても取れなかったりなど、人それぞれ得手不得手は千差万別です。
その中において知的感覚にも幅があり、考える事が出来ない理解できないという子が一定度いるそうです。
人の得手不得手からすれば、そのような個性がある事も理解に難くありませんが、それが幼少期の出来事であると、ただ「出来ない子」とのレッテルで世間からは見えてしまっている。
そこにフォーカスされないまま社会に出れば、一般的には迷惑行為でも当の本人は全く何とも思っていない、という行いが発生し、更に世間から疎まれるスパイラルになってしまう。
迷惑行為や事件事故、その裏には一般常識というフィルターで見えなくなっている部分があるのではないか、単純に憤っているだけでは何の解決にもならない可能性がある事を知りました。
言われてみれば確かに、という考え方が今後も提起されるでしょう。
しかしながらそれは高名な学者だから発見出来た訳ではなく、視点を多角に捉えたならば、多くの人が分かりうる事なのかもしれません。
一般常識というのは固定観念を当てはめるのではなく、常に刷新していくべきものであると思うのです。