定番のあの言葉
昔は良かった、よく耳にする言葉ではないでしょうか。
あの頃の音楽は良かった、あの時代のドラマは良かった、あの時が懐かしい。
伝統のようにこういった言葉を耳にする限り、一定程度の世間的共感があるのでしょう。
回顧の言葉が無くならない背景には、頑固という価値観での推し量りではなく、時代の移り変わりを受け入れられるだけの余裕が無い、という事が真相では無いかと思われます。
流行の先端はいつの時代も若者が担うもの。
まだ社会的責任も家庭の事情も持たない世代は時流を受け入れるだけのキャパに余裕があるでしょうから、昔を振り返る事はほぼ無いでしょう。
しかしながら、いずれ時が経てば彼らも同じ事を言い出すはずです。
例えば映像作品。
現場では監督からガラスの灰皿が飛んでくる、演者はスタジオでタバコを燻らせ、時には酩酊しながら演ずる事も、昭和にはよくあったと聞きます。
パワハラ上等、受動喫煙なんのその。
労働時間の規制も無いような、そんな中で生み出された作品ですから、相当なパワーがあったのでしょう。
ただ、全員が全員その様な状況に耐えてはいられない背景があったのですから、世の中の時流は変わった訳です。
恐らく現在は、出演者に配慮があり、演者も日ごろから模範的な生活を営み、多様な意見に合わせた作品が作られているのだと思われます。
社会が成熟し、個々が尊重されるようになった証左であるとも言えますから、その背景を無視してつまらないだの、もっとやれることがあるだのとまくし立てるのはナンセンスでは無いでしょうか?
彼らも時代の枠の中で、最良のものを作り上げようとしているはずです。
音楽においても過去は抜きんでた才能の持ち主が、限られたメディアを通して多くの国民に感動を与えていました。
時代の進化に伴い、発信可能なメディアは広がり、また歌手、作曲者の技術向上の手段も増えました。
多くの発信者が個性的な作品を展開し、また受け手が自由に選り好み出来るようになったのですから、圧倒的な番組も、圧倒的な歌手も出てくる可能性が薄くなる事は必然です。
今出来うる最善を受け入れる、それが出来るともっと豊かに社会を見る事が出来るかもしれません。